山乃井木工房:岩井雄介のいま何作ってましたっけ

京都丹波(京丹波町)の山村で木工をするあるつくり手の備忘録

『第53回 日本伝統工芸近畿展』に入選しました(再掲)

ーーーパンフレットが到着しましたので、『第53回 日本伝統工芸近畿展』のご案内を再掲いたします。ーーー

 

この度、『第53回 日本伝統工芸近畿展』に私の「桑拭漆片切隅長箱(くわふきうるしかたきりすみのながばこ)」が入選いたしましたので、お知らせいたします。

 

『第53回 日本伝統工芸近畿展』

 期間:2024年4月10日(水)~15日(月)

       10:00~18:30(19:00閉場 ただし最終日の入場は16:30まで)

 場所:京都髙島屋S.C.百貨店 7階グランドホール

 入場料<税込>:一般500円/大学生以下無料

 

↓展示会のパンフレット表面です。

↓今回の受賞作です。

↓こちらは同百貨店で開催される関連イベントです

ネギの種蒔きと後片付け

冬の間は本格的な畑仕事をお休みしていたので、朝は起きれなくなるし、そもそも畑を見に行くのは嫌になっているしで随分と堕落していました。

特に、今年は春ジャガイモをやりませんでした。そのため、より一層、冬眠から覚めるのが遅くなりました。

ちなみに、ジャガイモをやらなかったのはどうしても暖かい地方に勝てなかったからです。

鹿児島などの関西圏にも出荷している生産量が多い産地のものは3月の半ばごろから出回り始めます。

いくら「地元産」や「顔が見える生産者」として頑張っても、出荷は5月の半ば以降。

値段が〇%増しになってしまうと手にとってはもらえないもの。

「初物」というアドバンテージも通用しないため、どうしても価格を下げざるおえません。

ジャガイモは機械化が進んでいるほどコストが下げられる野菜でもあります。

大阪泉南あたりだったら、ゴールデンウィークあたりに地元産で出荷できるから面白いんだろうけど、春野菜は霜に耐えながら寒いところで作っても、・・・ねえ。

うまくいかなかったジャガイモの話はさて置き(このブログはうまくいかない話ばかりだけど)、梅の花が散り始めたので、そんな私の農業も再開です。

一番最初の種まきはネギです。自宅横の管理しやすいところに苗床を作り、トンネルで覆って育苗します。

毎年のことながら、種まき培土(今年、値上がりした)を地球に還す儀式です。

覚悟が必要です。鉢巻を締めて、精神統一です。(←うそ・紛らわしい・大げさ。JAR〇に連絡)。

人工的に混合された土30袋近くを地面にお供えしました。

トンボで平らにします。・・・がこの作業がちょっと難しい。

ヘタして抉ってしまうと、在来の土と混ざって苗床は草だらけになります。

きちんと整地できなくても水を撒いたときに土が流れます。

全集中、ネギの呼吸です。

ネギの種は小さく軽いので、指先を捻じるようにして条(すじ)蒔きします。

バラ蒔きをする人もいろうかと思いますが、苗を収穫して植え替えるときは条蒔きの方が早くてネギを痛めません。

苗床に生えてしまった雑草も抜きやすいです。

まあ、生産者の皆さんはペーパーポットですが・・・。私はそんなに作らないので機械・設備に投資できないのです。

覆土は必要最低限。ネギは好光性種子ですから当然ですね。

水を撒いたらトンネルを作ります。

明日から寒の戻りのようなので、トンネルの裾上げをすることは水遣りを除いて当分ないでしょう。

一方で、この冬に収穫していたネギも終わりました。

2月後半から雨が続いていたのでなかなか鋤けませんでしたが、5日ほど天気が続いた今日、半分くらいを鋤いてネギの畝を壊しました。

白ネギの畝は高いので、トラクターの底を擦ります。

カラスさんがお待ちかねでした。土の中にいた虫を捕るのです。

時折照らす日差しの中で、おじさんとカラスがのんびりと畑に集いました。

今日はコールラビも播種をしましたよ。

写真はいまいちだけど、植菌が終わりました

この一か月、近畿地方は天気が悪くて、隣県のMother Lakeは水位が回復したようです。

同じくこの一か月ほど、土日にシイタケの植菌をしていました。

そして今日、その植菌を終えることができました。

写真を撮ってなかったのを、シートを被せた後に気が付いたのよぉ。

オガ菌の容器で45本ほどとまあ、大した数ではないのですが、土日も毎回できたわけではなかったので、それなりに日数を要しました。

桜が咲く前に終えることができてよかったです。

今回はクヌギが多かった(全体の7割超えるくらいかな、他はコナラとアベマキ)ので、ドリルの錐が切りやむ(←別にギャグを狙ったわけではなくて)のが早くて。

錐が切れなくなってくると、原木が刃についてくるようになって手がしんどいのです。

ちなみに、クヌギは木工にはほとんど使用しません。

白太が厚く、繊維が揉めていることが多くて、用材としては適さないためです。

さらには、とても硬くて先述のように加工性もすこぶる悪いのです。

教科書的には閂や櫂にするようですが、閂はおそらくその堅牢性と細工を必要としないためでしょう。

また、櫂はこの木が重く、乾燥後もそれほど変わらず、水に浸したことはありませんが、比重1に近いのでしょう。

櫂は浮いてしまうと余分な力が必要となりますからね。

ということで、櫂としては有用だったとはいえ、建築などで利用されないということはそこまでの量の需要があったわけではなさそうです。

今でこそ、シイタケ原木として使っていますが、シイタケ栽培は駒菌でも昭和前期からなので、それ以前はほとんど焚き木としてしか認識されていなかったでしょう。

余談が長くなりました。さてさて、今年のシイタケ栽培は豊作になるかな?

おっさんずtax(仮)

確定申告とその納付のことを書きましょう。

というのも、今回はだいぶドタバタしまして、自分で言うのもなんですが、ほとんどコントのようでした。

そうでなくとも、年に一回のイベント。来年も同じように間違えたり、悩んだりしそうです。

なので、このブログの備忘録という目的と精神に鑑み、記事にすることにしました。

その顛末をよろしければどうぞ。確定申告をしたことがある方でしたら、どこかしらで共感できるところがある・・・かな。

(こういうたいして調べないでも書ける原稿はタイプがはかどります。それでも、量が量なだけにトータルで7、8時間かかりました。「おい、暇か?」)

 

確定申告のため、某会計ソフト、仮にここでは「三月」としておきましょう、で去年の帳簿が付け終わったのが2月初め。

あとは確定申告開始時期を待つだけとなりました。

「確定申告は計画的に」 何事も心の余裕が大切です。

前回、つまり一昨年分までは同じ三月のインストール型のものを10年以上使っていたのですが、先にも書いたようにパソコン自体が壊れてしまったので、今回からクラウドになりました(もちろん個人事業主のモデルです)。

今の会計ソフトは随分と進化しています。e-t〇xにアクセスしなくても三月の画面上から確定申告ができるようになっているのです。

こち吹かば 思い起こせよ 確定申告 儲けなしとて 納税わするな

さあ、2月16日も1週間ほど過ぎた時間の取れる日曜日の朝、いよいよ申告です。「電子申告」ボタンをポチっとな。

・・・でんし?、電子署名???

署名とはあれか、タッチパネル上でペンでも動かすのか?

いや、違う、なんだ?マイナンバーカード(以下、「マイナカード」とす)で行うだと?

おじさんは画面上のやり方について目を凝らしました。

「電子申告をするために電子署名をしてください」

電子署名という認識はデフォルト設定、一般常識なのか?

山の中で生活している間にこの世界は22世紀になっていたのか? 国税庁、何とかしてよ。 

いやいや、まずはこの世の中の仕組みについて理解するためにこの「電子署名」なるものを知ろうではないか。

(以下、*****から*****まで、言葉に関わるどうでもいいくらいの細かいことが30行ほど続きます。忙しい方は飛ばして先にお進みください)

*****

署名とはなんぞや→調べる。電子署名→調べる。・・・後略

結果、ここでの電子署名の利用とは、やり取りするうえで電子データ(表現されたもの)が唯一かつ固有のものであることを担保するための機能の付与であるようだ(これは個人的見解であり、効果・効能を保証する専門家の意見ではありません。以下同)。

誤解しやすいのは、ここでの「署名」とは本人性を保証するわけはないこと。

つまり、社会で共通して用い、「ああ、このデータ本物だよね」という、信用の対象は文書中の契約などの内容ではなく、電子データのカタチだということです。

ちょっとわからなくなりそうだったらば、過去について考えてみましょう。

平安後期には大量の文書(近代以前では「もんじょ」と読むのが一般的)がそこかしこで作られるようになりました(単にこの時代の古文書が残っているからという史料上の都合もあるがここではその側面を無視します)。

これは電子データがたやすく複製・捏造可能な現在と似通っています。

そこで問題となるのが、「この文書、本もんじょ? ほんもんじゃろうか?」というおやじギャグを含めた真偽の問題です。

これをすべて解決できるわけではないのですが、ふるいにかけ確認することができること(←書き方が迂遠だが仕方ない)で正式な文書を正式たらしめるのが書札礼です。

書札礼とは手紙や命令書などの形式のことです。

発行側(必ずしも公的でない)と受取側が共通のカタチを理解することで「この文書、本物だよね」と考えて、その内容を信じる段階に入ります。

これは連判状などでも同様で、集まった人たちが結託を確認するのに「権威ある」文書が必要ならばそのカタチを踏むということでしょう(その時に「用いられる」神仏は崇拝の対象とは厳密にいえば異なるかもしれない)。

・・・良かった、僕は歴史に学ぶことができそうです。

違う分野で例えるなら、この認識の一致は複式簿記で借方と貸方の数字が合うようなもの、はたまた知覚の次の段階の認知の領域のようなものです。

いやいや、素直にNFTを思い浮かべて、そのシステムそのものだと言う方がいいでしょう。

ただ、こういう仕組みの「必要性」は人類誕生から意思疎通の根本問題としていろいろなものを発明してきましたよね。

話題を戻すと、じゃあ、なんで「署名」なんている紛らわしい言葉を使ったんじゃ?そして、それを法律に冠した(正式には「電子署名及び認証業務に関する法律」)?

「署名」は契約で慣用される言葉で、普通に読むと「責任を持った記名行為もしくはその跡」と考えちゃうじゃないか。

電子署名法なんて名前でなくて、内容に即して「電子資料保存の法則法」とか「電子文書補完計画法」なんて方がわかりやすいじゃろうに。

そう、よくある「アプリ名大喜利」のように、万人受けしそうな名称にした方がデジタル田園都市国家構想に貢献できると思う(ただこの法律の成立は2001年のようだ)。

少なくとも、現状に即し、「電磁的記録の真正成立に関わる法律」とでもし、電子データの唯一・固有化については「真正化」、もし文書に当該者もしくは責任者としての名前を付与して有効化するならば「同一化」とでもしてください。

でないと私のような愚昧な市民が混乱します。

それにしても、この名前を書いていないのに、個人に割り当てられたカードとそのパスワードで「署名」という言葉を当ててしまうというのは言語的に面白い。

繰り返すようですが、署名の意味はつい最近までは責任を持った自筆の記名だったはず。

言わば、自分の意志の分身として身体性を持ったものでした。

それが今や個人、法人を問わずデジタル上の暗号鍵の仕組みそのものを指している・・・。

個人から見れば署名という言葉が「奪われた」わけで、逆に言えば、ここには明確な意思を持った人間は存在するんだろうけど、その「身体性」が電子的処理や膨大な電子記号によって侵襲されているとも見えます。

*****

・・・話しを元に戻して進めると、現況、マイナカードによる電子署名の付与は電子データの真正を持たせる方法の一つとしてあり、行政が多用するようです。

と、こんなことを調べて考えていたら、1週間ほど経過・・・

 

問題は今日の雨、ではなく、問題は今回の納税。

コロナ禍でのリモートワークを経験した多くの社会人がすでに理解しているだろう電子署名。その世の中の仕組みを理解するのに1週間かけてしまいました。

それではこの時代に追いついたおっさんがマイナカードで電子署名をしてやろうではないか。

「マイナカードリーダーかスマホで行ってください」

ははは、安心してください。つい9か月前にスマホデビューしたこの私に任せたまえ。

「マイナポータルをインストールしていますか?」

・・・いいえ、まだです。まずはそちらをしなければならないのですね。

急いでマイナポータルのアプリをスマホにインストール。

ウサギに似たマイナカードのマスコットキャラクター、マイ〇ちゃんがおっさんの画面に追加されました。

それにしてもマイ〇ちゃんはかわいいし、キャラクターデザインとしていーなぁ。

耳の「17」も名前の「イナ」に掛けてあるし、良いものを表す「いーな(いいな)」にも掛けてあるのでしょう(注:私はマイナカードの回し者ではありません)。

次に今度はそのマイナポータルを開いて登録へ。

・・・と、ここでマイナカードをスマホで読み取ることを求められました。

マイナカードの上にスマホをかざして読み取るだけ。

・・・と、読み取るだけ・・・。

あれ、・・・読み取れっ。

・・・おい、読み取らねーぞ。

もしかして、スマホが対象機種ではないのか?

いやいや、そんなはずはない。エントリータイプの範疇ではあるが、グレードでは下から2番目の機種だぞ。しかも比較的新しいし。

そして格闘すること20分。私はもうだいぶ疲れました。ちょっと一日頭を冷やそう。

 

さらに日が過ぎた夕方、こたつに入りながらマイナカードの読み取りに再挑戦。

でも、やっぱり読み取らない。

待て待て、ここで短気を起こしたらいつまでも時代に付いていけない。まずは「読み取りができないときは」をよく読もう(←迷ったらすぐ読めよ)。

・・・なんと! 「以下の機種はマイナカードを縦にしてかざしてください」だと!?

まさか、こんなことで。

・・・ピローン(一発合格)。

なんでだよ。

〇Rコードだって逆さまでも読み取れるようになっているんだよ。いやいや、自動改札だって非接触ICカードはどんな向きだって読み取れるだろ(持ってないけど)。

ここ8年ほどという、つい最近世に出たマイナカードがなんで向きを合わせないと読み取れないんだよ。

だめだ、怒りに任せてこんなところで時間をかけていられない。

そのあとの手続きは簡単で、数分後、無事にマイナポータルに登録できました。

さて、確定申告のための準備の準備ができたところで、ようやく電子署名

「マイナポータル上からこの〇Rコードを読み取ってください」

ほお、マイナポータルの〇Rコードカメラはどこで起動させるのかな?

〇Rコード、〇Rこーど、・・・きゅ、Q、Q~、オバ〇〇、と。

こたつの中で足だけが異常に熱くなってきたおっさんはスマホの画面をしげしげとしばらく眺めます。

・・・が、見当たりません。一番最初の画面に戻っても見当たりません。

〇Rコードカメラどこ? どこどこ??

もしかして、g〇〇gleレンズだったら認識できるのか?

レンズ「う~ん、URLみたいなんだけどねぇ。わっかんねーや」

どうやって〇Rコードをカメラで収めたらいいの?

いや、待て待て。調べればいいんだ。ついさっき経験に学んだばかりじゃないか。

・・・なんと、ログイン前の画面下の帯中央「読取り」をタップだそうです。

ということは、登録まではしなくてよかったの?

というかe‐t〇xのページにも〇Rコードを写すにはこうしてねっていうイラストをもとから付けてほしい。込み入ったQ&Aからでなくて。

そしてマイナポータルも、〇Rコードの読み取りはユーザーにとって最頻出行動だろうからログイン後にもアイコン欲しいし、そもそも「〇Rコードの読取り」と明記した大きいアイコンにして欲しい。

・・・とはいえ、必ずしも使うわけではない「〇Rコード」を表立って常時画面上に書くわけにはいかないんだろうな。

天の声「〇Rコードは〇ンソーウェーブの登録商標です」

つまり、誰しもがおいそれと連呼はできないのです(故に、このでの表記も一部伏字)。

特に公的機関は一企業の利益とならないように、その媒体等には必要に限り最低限しか表示しない。

だから、さらにわかりづらい表記になる。これ、公的機関やそれに準じた機関であること。

公共放送であるN〇K様も、事件的なニュースでなければ会社名や商品名を言うのは1番組1回だけというのはみんな知ってる。

・・・また、手間と時間の落とし穴に嵌ってしまった。

オッケー、税務署。これで読み取ればいいんでしょ。

〇Rコードを読み取ると、マイナカードをスマホで読み取り、電子署名がクリアできました。

そのあとは簡単。e-t〇xに連動している会計ソフト「三月」の画面上で、納税識別番号を入力し、数クリックするだけで確定申告完了。画面上に

「お疲れさまでした。これで確定申告は終了です」

と、フリー素材のようなイラストとともにねぎらいの言葉が現れました。

ふうー、これにて一件落着。今年の早そうな桜吹雪、散らせるもんなら散らしてみろい。

さーて、さてさて。パソコン開いてるし、ネットサーフィンでもしよ。クリック、カチカチ。

そういえば、納税はどうするの?三月の画面上で完結したけど、納税通知はどうなるのかな。メールでも来るのかな。

 

一週間後。確定申告の苦労とともに納税自体も忘れ始めます。

・・・って、これ納税の方法調べなきゃやばいんじゃね。もう3月入っているし。

所得税の納税期間は3月15日までです」by国税庁

メールこないもんなの? もしかして、ミッシングリングで隙間に嵌った?

じゃあどうすればいいの?

会計ソフト3月の「確定申告画面」を見ても、納税に関しては何もありません。

あー、あれか。もしかして、e-t〇xの個人ページにログインして確認しなきゃならんのか。

e-t〇xのホームページを開き、ログイン画面を探します。

そもそも、検索サイトから飛んできて、なぜかログインさせるページが最初に出てこない。

やっと見つけたログイン画面。〇Rコードをマイナポータルのログイン前の画面から「読取る」で撮影。そしてスマホでマイナカードを読み取り、そのパスワードを入力します。

そして、ようやく辿り着いたマイページ。相変わらずe-t〇xのページはどこも極限にまでシンプルです。

どこにも納税通知なんてないなあ。この「所得税 消費税」のボタンからかな。ポチっ。

所得税 消費税」のページを開きましたがどこにもそれらしい通知はありません。

ここじゃないんか、違うページかな。戻ろっと・・・

すると、画面が一転。それまでの多くのノスタルジーと僅かな温かみとがあったe-t〇xの画面から、接続が切れたことを告げる無機質な注意画面に。

そうです。e-t〇xはセキュリティーのために、ブラウザの戻る「←」からでは先のページに戻れないようになっているのです。

当然、ログインし直さなければなりません。再び、e-t〇xのホームページを開き、〇Rコードをマイナポータルのログイン前の画面から「読取る」で撮影。そしてスマホでマイナカードを読み取り、そのパスワードを入力します。

(注:非常に「マイナカード」「マイナポータル」って連発しているけど、決して私は回し者ではありません)

ようやく辿り着いたe-t〇xのマイページ。じゃあ、納税通知は他のところにあるんじゃろうか。こっちかな・・・ここでもないや。もどろ・・・カチっ(爆死)。

三つ子の魂百まで。ブラウザの戻る「←」ボタンに慣れた人間(多くがそうだと思うが)にとって、その無意識の行動を改めるのはなかなか難しいもの。

また始めからかあ。再び、再び、e-t〇xのホームページを開き、〇Rコードをマイナポータルの・・・(以下略)。

このページでもないのか。あれっ、ページの中に戻るボタンないじゃん。どうやって一つ階層を戻ったらいいの?・・・爆死。

坂の上の納税。e-t〇x攻防戦は愚かな指揮官のために熾烈を極めました。

こうして納税通知に辿り着くために15回ほど爆死し、そのたんびにマイナポータルにアクセス、マイナカードを認証させました。

デジタル庁のマイナカードの利用実績が向上したのはこのような草莽のおっさんがいたからです(ちなみにページ上に「戻る」ボタンがない時はページ左上の階層と位置を示す「>」で表されたところをクリックするのが正解)。

結局、「メッセージボックス」にある受信メッセージの一つ「納付情報登録依頼」を開くと納税のやり方が書いてありました。

なんでこんなに込み入ったところにあるの? 

なんで「納税通知」や「納付方法のお知らせ」みたいな、わかりやすい表題のメッセージにしてないの??

(補:ここで私が使う「納税」という表現、言葉にセンシティブなご職業の方だけでなく、多くの方もガヤガヤとかまびすしく感じるかもしれません。「所得税を納税」という表現が「腹痛が痛い」と類似の同意反復をしている恐れがあることはもちろんですが、それよりも「納税」と「納付」の混同を問題としなければいけません。すなわち、「納税」というのが帰属集団から課される義務の支払いとするならば、「納付」は単に金銭や物品、場合によっては労役を差し出すことです。そう、「納付」は納める側の一方的な行動です。また、確定申告書の提出は税務署の承認を意味しません。その後の税務署様のお仕事によって精査(私のはそれほどのものではないが)され、認められます。つまり、この時点では「課される義務」は確定しておらず、こちらの申告上の数値をもとにこちらが妥当と考える金員を納めているに過ぎません(まあ、申告は正確で、納める金額は合ってないと困るのだが)。ですから、税務署が「納付」という表現で、かつ強制性を発揮したり、強い表現をしていないのはこのためと思われます(単に高圧的だとみんな反発するからというのもあるだろうけど)。端的に言うと、「納付情報登録依頼」はすこぶる正しい。ただ、様々な人間が利用するために、本来、直観的操作が要求されるものを、正確性を期するが故にインターフェイスが迂遠になって、結果的にボトルネックを作り出していることを揶揄しているものと思ってくださればと思います。なお、納める側が納付と納税を同じように用いるのは問題ないと考えます。これは被疑者や被告人が「僕はやっていません。無罪です」というときの無罪と似ていると思います。つまり、認められるだろう未来を疑わず「無罪」を主張しているわけで、認められるだろう未来を疑わず「納税」をするのはほぼ同じ。納付と納税という言葉は使う立場によって非対称性を示します)

ついでに細かいことだけど、メッセージの表題と中の本文の上に書いてあるタイトルがなんで全く違うの???

・・・Don’t Think. Feel tax !!! 

う~ん、今回は「コンビニ納付(〇Rコード)」を選択してみましょう。ぽちっ。

確認事項はOK。〇Rコードを発行っと。

すると、出てきました。恐ろしく細かい〇Rコード。

これをスマホに転送したいな・・・そんなボタンないか、期待した私が悪かったです。e-t〇xにはメールアドレス登録してあるのに。

しょうがない、パソコンをスマホで撮影すると光の反射でうまく写せないこと困るから、L〇ppiの方の〇Rコードを画像コピーして、g-mailで自分宛てに送ってスマホから見られるようにしましょう(こういう手間が積み重なるんだけどな)。

 

翌日、スマホを手に勇んで〇ーソンに入り、一目散にマルチメディア端末「L〇ppi」に向かいます。

いざ進めや〇ーソン、目指すはL〇ppiぃ~ (・・・だいぶ音が足りないな)

最初の画面真ん中にある「QR」をクリックして、L〇ppiのカメラ機能を立ち上げ、懐から恭しくスマホを取り出して前日転送した〇Rコードをかざします。早く、レジ用バーコードが欲しいな。

L〇ppi「・・・」

おっさん「控えおろう。このスマホが目に入らぬか」

L〇ppi「・・・」

おっさん「目に入りませんか。それとも、こっちか。余の〇Rコードを見忘れたか」

L〇ppiQRコードをかざすか、他の操作方法を選んでください」

おっさん「・・・ええい、もはやこれまで」

なんと、スマホに出したQRコードを読み取らないのです。

おそらくのところ、L〇ppi町娘の「スマホの画面に保護シールなどが張られていると、うまく読み取れない場合があります」というセリフが正しそうです。

確かに、おっさんのスマホ画面にはそのおっちょこちょいをカバーするため、ぶ厚いガラスカバーが付けられています。

そして、〇Rコードは画面いっぱいに表示されていて、端の方がガラスの面取りのために認識できなくなっているようです。

画像を小さく使用にもこれ以上小さくならない…。

だからと言って、こんなことで保護ガラスを剥がすわけにはいかない(納税は国民の義務ですが)。

一度、コンビニ漫遊の旅から戻って再検討です。

 

国税庁「あきらめたらそこで延滞金だよ」

おっさん「先生、・・・納税がしたいです」

だめだ、もう納税なんてできないのだろうか。

L〇ppiで〇Rコードが読み取れないという、もはや国税とも関係ないところで躓いている私。

何か方法があるはずだ。

・・・いや、スマホ画面だから解決できないのだ。いっそ、紙で出力したらいいのだ。おっさんのアナログなのだ。

次はコンビニに行って、マルチコピー機でこのスマホに転送した〇RコードをプリントアウトしてL〇ppiにかざしたらよいではないか。よいではないか。

しかし、ここまであまりに躓きに躓いたので、他の方法も用意しておこう。

ATMでも納付できるとのこと。第二の手段として、こちらも活用できるように利用者識別番号や確認番号を控えておこう。

・・・ん? 確認番号?? 

「6ケタの納税確認番号のことですよ」とのことだが、どこに書いてあるんじゃ?

ここまで経験の学んだおっさんは素早くe-t〇xのサイト内を探し回り、納税確認番号を登録。

「ATMでの納付の場合」として現れた収納機関番号5ケタ、利用者識別番号16ケタ、納税確認番号6ケタをメモします。

あまりに数字が続き、画面にも「コピーを取るなり、控えることをお勧めします」などと書いてありますが、決して、「じゃあ、ボタン一つでメールに転送できるようにしてくれよ」などとは言いません。

これで準備万端だ。コンビニでだめだったら、近くの銀行ATMに行って納付しよう(←後日分かったことだが、私の利用する銀行はATM納付を対応していなかった)。

やっと納税ができる。今日中の納税を求めて、いそいそと〇ーソンへ。

例によって、スマホからマルチコピー機へデータを送るのに5分ほど悪戦苦闘をしたものの、〇Rコードを紙で出力することができました。

おっさんは、地球の資源保護を思ってA4よりも一回り小さいB5に印刷しました。

巨大なクロスワードパズルのような模様をビジネスマンの如く小脇に抱えて颯爽と〇ーソン内を移動します。

「あなたに読み取っていただくのはこれです」

おっさんは新元号の発表のように両手で紙を引き上げてL〇ppiにかざします。

L〇ppi「・・・」

まさか読み取らないのか? こんなの嫌だ。こんなものになるために旅をしてきたんじゃないや(・・・だったかな、ちょっと覚えていないや)。

もはや新元号が発表された翌日のワイドショーのように、〇Rコードのお披露目を繰り返します。

L〇ppi「・・・」

だめなのか…、諦めかけたその時。

「どうかしましたか?」

なんと、うら若き、高校生でしょうか、女性の店員さんが私に声を掛けてきたのです。

そして、私のよれよれになったB5〇Rコードを見るなり、

「それだと印刷が大きすぎて読み取れないんでしょう」

返す言葉もないおっさんはできの悪い自由工作を持ってきた夏休み明けの小学生のように立ち尽くし、伏し目がちです。続けて店員さんは

「ちょっと貸してください」

と言って、おっさんからコピー用紙を取り上げました。無論、おっさんの指には力が入っているはずもなく、滑るように彼女の手に渡ります。

「カメラで撮ったらうまくいくんじゃないかな?」

店員さんはおっさんにも聞こえるように呟くと、目の前の人間に目もくれず、右手でポケットからスマホを取り出し、左手に持った〇Rコードを俄かに撮影。

そして、その画面をL〇ppiの読み取りカメラにかざしました。

L〇ppi「〇Rコードを認識しました」

L〇ppiはおっさんには決して開いてくれなかった心、いや画面を開いてくれました。

「こちらでよろしければ、確認を押してください」

「・・・あ、ありがとうございます」

店員とL〇ppiに促されるままにおっさんは最後の大役のみを行うと、レジ用バーコードがスムーズに出てきます。

こうして、女性店員は秒針が一周回る間にすべてを解決。

「こちらの〇Rコード、ご入用ですか? それともこちらで処分しておきましょうか?」

店員はこの舞台の終幕も忘れません。おっさんの苦労の元は再びその手に還ることなく、役目を終えました。

それにしても、この〇Rコード、ネット上に現れてから「コピーしてメールに添付」「クラウド(g-mail)に送信」「スマホにダウンロード」「画面に表示」「アプリでマルチコピー機に送信」「コピー用紙にプリントアウト」「スマホで撮影」「一次写真を認識させる」と、この四半世紀ほどの情報伝達の歩みを順不同ですべてやり切った感があります。

レジに行き、定位置に戻っていた若い女性店員に自分のものとは思えないバーコードを渡します。

手を取ってお礼を言いたいところでしたが、そんなことをすると今度は違う国家権力のお世話になることはわかっています。そのため、お金を渡すときに

「いや、スマホの画像を読み取ろうとしたら、うまくいかなくて。いや、ガラスのカバーのせいだったのかな」

と、愚にもつかない言い訳をします。

すると、店員はよくある同情の言葉とよくある笑顔で応え、これもよくあることなのでしょう、卒なく収納代行の用紙に領収印を押して、よくある利用の謝辞を述べて客を見送ったのでした。

 

僕としたことがとかくしましたが、これにて一件落着、おっさん大団円。

こうして見ると、この確定申告から納税をめぐる旅、意思と表象としての人類史を概観した感があります。

これで講義でもできそうです。その時は表題を「テクスト・マシン-確定申告にのって」とでもしましょうか。

まあ、素人の私にそんな需要はないだろう。

ネギの終了

2月は全体的に気温が高かったものの、雨も多い一か月でした。

今日の出荷で白ネギが終了しました。

御覧の通り、すべてなくなりました。青々としているのは雑草です、元気だね。

1袋400円前後の価格でトータルで900袋あまりだったでしょうか。

まあ、ネギ農家さんに比べれば「0」一つ加えても及びませんがね。

ということで、畑に植わっているのはソラマメだけとなりました。

あまりの暖冬で、もうこんなに大きいのです。

このようにほぼ100%生存の畝はいいのですが、うまくいかない畝もあります。

緑が途切れているのは消えたからです…。マルチも剥がれて悲惨な感じ。

ここは昨年の夏にアスターを植えたところですが、どうも水抜けが悪いためか病気が流行りやすいようです。

この1週間は平年並みの気温でしたが、それまでが暖か過ぎました。

草丈が伸びてるのが見て取れるだけでなく、花も咲き始めています。

こんな時期に咲いて結実するのかね?

でも、いくら生長が早いといっても5月の連休に収穫できるわけではないでしょう。

売れ行きを考えたら(単価はなおのことだけど)、やっぱり梅雨が始まる頃に出荷するのは不利なんだよなぁ。

当地では路地じゃトンネルなどでどんなに頑張ってもゴールデンウィーク出荷は無理。

モウソウチクをありがたがって食べているのを見てもわかる通り、日本人は初物を好むんだよね。

だから、春が早い土地が羨ましいです。

ぶらりちょっと坂本の旅 ~その1~

2月10日(土)・11日(日)は滋賀県にいらっしゃる木工作家さんの元で研究会がありました。

その模様はブログに書くことができませんが、とても充実して楽しいものでした。

初日は午後の集合だったために、朝、少し早くに家を出て、午前中に寄り道として名所を巡ってきました。

時間的な制約もあるので、比叡山延暦寺日吉大社だけになりましたが、その模様を備忘録もかねて綴ります。

・・・と、いっちょ前に行っていますが、もう3月、投稿するの遅いよ…。いくら確定申告があったからとはいえ。

なお、去年の奈良の旅も長くなって投稿数が増えたので、「ぶらり旅」カテゴリーを作りました。

ヘッダー(この画面の情報にある帯)から過去の記事に行けるようにしましたのでよろしくです。

話しは戻って、比叡山に上るにはいくつかルートがありますが、今回は(といっても私は初めて上るのだけれど)坂本から上ることにしました。

趣のある駅舎。ケーブル坂本駅です。大正時代の木造建築で、国の登録有形文化財に指定されています。

ちなみに、この路線は正確には京阪グループの比叡山鉄道比叡山鉄道線(坂本ケーブル)です。

山の向こうの出町柳から八瀬比叡山口・鞍馬路線は叡山電鉄で、京阪ホールディングスのHPによるとそちらは運輸業、こちらの比叡山鉄道はレジャー・サービス業に位置付けられています・・・なんで?

坂本ケーブルは本線のみで支線はありませんが、話は横道にそれました。

大正ロマンというよりも、どちらかというと昭和のまだ需要があった田舎駅のような待合があり(時期柄、ストーブが中央に置かれ長椅子が取り囲んでいた)、それを抜けるとホームです。

比較的緩い勾配(160‰だそうな)に車両が止まっています。

出発するといくらか勾配はきつくなり、階段状の座席がちょうどよくなります。

当然のことながら、1両編成で動力があるわけでもなく、架線もない、速度もさほど出ないので、車輪とレールの単純な摩擦音だけが深い谷に響きます。

2つの車両が行ったり来たりで、真ん中ですれ違い。

車内はレトロな感じですが、外観はアグレッシブな感じでどこかのサッカーチームのユニホームみたい。

終点のケーブル延暦寺駅に到着。

こちらも登録文化財。どちらかというとこちらの方がヨーロッパチックで大正ロマンなのですが、逆光のためにうまく引きで写真を撮ることができませんでした(この写真を撮ったのは帰りで11時くらい)。

「のどか」という言葉がぴったりと当てはまる坂本ケーブルですが、太平洋戦争末期には暗い歴史を歩みました(比叡山坂本ケーブルHPhttps://www.sakamoto-cable.jp/)。

当地は人間ロケット「桜花」の発射基地となったのです。

カタパルトで射出して飛行、標的に向かう特攻作戦でした。

この時に使われる桜花は航続距離を伸ばしたどちらかというとロケットよりは飛行機に近いものだったようですが(wikipedia『桜花(航空機)』https://ja.wikipedia.org/wiki/桜花(航空機))、素人ながら作戦としては末期的と思われる…。

おそらく、比叡山が選ばれたのは大阪湾や伊勢湾の防衛、地上戦になった場合の大阪・京都・名古屋の防衛、航空機並びに資材の陸・湖上輸送(琵琶湖周辺は平坦な土地が多い)、既存の坂本ケーブルが利用できることなどが挙げられるでしょう。

戦争の悲劇として話しを書くことは省きますが、文化的な面でのみ思うところを。

選定の理由には、比叡山延暦寺という宗教・文化施設を「隠れ蓑」にして軍事基地化する意図も十分にあったでしょう。

換言すれば、国民国家が戦争を行う場合には、これまで培ってきた文化遺産さえも取り込み、たやすく利用してしまうとも言えます。

使われる前に終戦を迎えたため、幸いに基地は実戦で用いられることはなく、比叡山自体も戦火は免れました。しかし、まあ、何というか…。

・・・話題を戻しましょう。

駅の屋上は展望台になっていて琵琶湖が見渡せます。とてもよいお天気で対岸までくっきりです。

歩いて10分ほどで延暦寺

言わずと知れた世界遺産古都京都の文化財)ですが、ここは滋賀県大津市です、みなさん忘れずに。

ちなみに、この入り口から入って最初にある建物(受付は除く)はこの比叡山消防団の建屋でポンプ車がありました。

・・・飾らない寺院、延暦寺

それにしても、初日とはいえ三連休なのにあまり観光客はいません。おかげで、山の雰囲気そのものが厳かです。

さてさて、今回は始めからメインの根本中堂に行ってみましょう。

・・・って、修復中じゃん(調べて行けよ)。敷地目一杯の立派な素屋根。

工事はだいぶ終わっていて、屋根の吹き替えもほとんど済んでいるようでした。

素屋根の中には本堂と廻廊の間に見学のためのステージがあり、写真も撮影可能です。

鉄骨の間から見えるでしょうか?

真新しい本堂の銅板葺はまだ緑青を吹いていません。ピカピカです。

一方で、廻廊の屋根は栩葺(とちぶき)。規則正しく葺かれた板(椹(さわら)だそうな)が美しいです(ちなみに、栩葺という名前は今回初めて知りました。柿葺とは違うのですね、板の厚みと屋根としてのグレードが)。

・・・写真が近すぎて、なんだかわかりませんね。

近づいて見てみましたが、当然ながら、とっても良い椹を使っていました。

昔は本堂も栩葺きだったそうです(寛政年間に変わった)。

延暦寺は瓦葺ではなかったのですね。一般に瓦葺は近代以前、凍害に弱いとされていますので、比叡山では用いなかったということでしょうか。

それとも、延暦寺ほどの寺格、古式にのっとることが重要とされたのでしょうか。

延暦寺の境内は起伏が大きく、根本中堂から恐ろしい傾斜の階段を上ると文殊楼があります。

文殊楼は延暦寺の総門にあたる建物であったようです(『文化遺産オンライン』

https://bunka.nii.ac.jp/による)。

総門であるならば、だいぶ小ぶりな感じがします。それと、江戸時代初期にしては装飾もだいぶ抑え気味の感があります。

延暦寺は修復や普請が結構盛んなようで、鐘楼↓は塗り直したばかりでした。

これだけ鮮やかな朱色を基調にし、さらには木口に白を配していると、垂木や組物、木鼻といったディテールがこれでもかと強調されます。

・・・周囲の植林とはとても対照的な人工物。

しかし、これが仏教建築の本来で、最澄の頃とは言いませんが、寺勢豪然たる時世の姿と思っていいのでしょう。

さらに起伏のある道を歩いて戒壇院↓

こちらは建物の色がだいぶ落ち着いてきています。塗り直してからいくらか時間がたったのでしょう。

上層正面の唐破風がちょっと不思議な感じ。

上の屋根は横方向の反りが大きく、全体にわたっているのに対し、下層の屋根は四方を除き極めて直線的な印象を受けます。

言うまでもなく、こちらも江戸初期の建築で線が細いです。それにしても、文殊楼といい、花頭窓大好きだなぁ。

戒壇院ということで、いわゆる本山が最も大切にする施設です。

すなわち、戒律を守ることを誓うところ。宣誓するところ。見方を変えれば、戒律を授けるところ。認許するところ。

殊に、天台宗平安時代の隆盛を考えれば、多くの僧侶がここで(建物は後世のものにしろ)その精神的結びつきを強めたことでしょう。

リズムのある桟で組まれた桟唐戸。戸はこのように飾金具で装飾されるのですね。

また長押と藁座による開き戸の構造もよくわかりますし、黒での塗装、面取り部にさし色の朱と心憎いです。何となく根来っぽい。

東塔・阿弥陀堂をさっらっと眺め(←近代に作られた建築はいつもこんな感じ)、東塔地域を後にし、遊歩道というか「本来の道」を歩いて西塔地域に向かいます。

その道中にあるのが浄土院↓

植林の中に緊張感を持って凛と佇む建物です。

言うまでもありませんが、侍真と呼ばれる僧侶が今も伝教大師にお仕えし、食事や火を絶やしません。

清浄の空気は多くの献身が引き継がれた悠久の時によるものでしょう。

西塔地域はさらに人影がなく、静謐と呼ぶにふさわしい雰囲気でした。

常行堂と法華堂、二つ併せて通称「にない堂」。

左↑が常行堂で右↓が法華堂

鏡に映したかのような同じ造りの建物で、渡り廊下で繋がれています。

文禄年間の再建であるようで、東塔地域で見てきたものよりも質素な感じがしますが、それでも精巧な作りです。

珍しい方形の大きな建物。半蔀の連子が林立する木々と調和して縦方向が強調されるため、一辺5間と扁平して重たくなりそうなものですが実に軽やかです。

ただ、ちょっと、(拝所と呼んでいいのかな?)入口のいわゆる庇が重たそうかな。

次の大きな建物は転法輪堂、いわゆる釈迦堂。西塔ではここが本堂と見なされています。

先日降った雪をかき除けたのでしょう、参道の両側には僅かですが白いものが残っています。

林がすぐ傍まで迫っているので、この大きな建物がやや窮屈に見えます。

園城寺の金堂を文禄年間に移築したもので、造営は十四世紀中ごろ、南北朝期であるそうな。

建物に歴史あり。木造建築は移築が可能なので、このように「どこそこにあったもの」という建物に出会います。

延暦寺園城寺の対立は周知のとおり。

それにしても何回も焼かれた仇に対して金堂を「はい、どうぞ」と供出せよとはよほどのこと。

織豊政権に限りませんが、武家の宗教政策もなかなか興味深いものです。

園城寺時代とは変わっているかもしれませんが、屋根のこれでもかという反りをこの比叡山の地で見た寺門派の僧は悔しかっただろうなぁ。

この先の横川地域まで行けるほどの時間的余裕はありません。

なので、もと来た道を戻ります。

道(←「遊歩道」というのはねえ・・・)は整備されていたり、されていなかったりです。

まあ、ここは公的施設やレジャーランドではなく、仏道に精進するところですね。

起伏があり曲がりくねっているので、この山道をトレッキングする人も多いようです。

運動不足の私は、自身が履いている安物のスニーカーと一緒に壊れてしまわないか心配になるくらいでした。

・・・千日回峰行なんて、とても考えられないです。

ところで、ちょっと疑問。

このように数多の堂宇が長身の緑林に埋もれて佇むのも趣があるものですが、樹木のほとんどが杉です。

東塔から西塔へ至る道中もほとんどが杉で、40年生から80年生が大半といったところのようです。

これはどのように考えたらよいのでしょうか?

比叡山は戦後植林最盛期に、しかも桧ではなく比較的廉価で木材として劣る杉を植えたということでしょうか。

杉の樹形は縦方向に清々しく、桧よりも樹皮は力強く見えます。

う~ん、雰囲気を重視して杉を植えたと考えたいところです。

さらに、この杉林以前の、つまり、戦前や近代以前の植生はどのようなものだったのでしょうか。

つまり、今、目にしているこの光景はつい最近のものだということです。

もし、延暦寺周辺の木々が不輸不入、伐らずの森だとしたら現在もそれが受け継がれているでしょう。

修復などの普請に用い、100年くらいで更新していくのであれば、やはり桧の方が好ましいですし、樹齢も区画ごとに分けれているはずです。

そうなると、生活用の木々(薪炭)に使われて更新されていたと考えるのがいいのかな?

とするならば、燃料革命までは樹齢の若い雑木林だったことになる・・・。

坂本ケーブルに乗ったときに見えた谷は深く、そこには人の手がほとんど加わっていない樅かな?(ただし、景観向上や災害対策のためか強く剪定してあった)がある程度まとまって生えていました。

こちらの方が本来の寺域にはふさわしいような。

坂本ケーブル延暦寺に影響がないところに作られたとされているので、おそらく地権者も異なると思いますが、40年くらい放置された雑木林、いわゆる里山も多くありました。

深山幽谷といえば、我々がイメージするものはどうしても一面的で、ややもすると杉の植林になってしまいます。

しかし、植物の生態とそれに関わる人の営みはもっと多様ですよね。

そんなことを考えながら坂本ケーブルで山を下りました。

1日あれば「山門寺門」と園城寺にも行きたかったのですが、時間が「押すなよ、押すなよ」としているので、麓の日吉大社へ。その模様はまた別稿・・・

小屋の屋根が「ほぼ」できました

早くやってしまえばいいのに終わらせていないもの、それは夏休みの宿題と小屋の屋根。

今後1週間程度、雨が続く予報が出ていたので、昨日、その屋根を「ほぼ」終わらせました。

まずは野地板張り↓

昨日はとても天気が良く、且つ気温が高くて春の陽気でした。野地板はトタンを被せるだけなので疎らです。

次にトタン張り↓

なんだか写真が靄がかっている・・・。もしかしてレフ板効果?金づちの錆が消えています。

そして、完成・・・といきたいところですが、よく見ると手前の方に傘釘が刺さっていません。

実は傘釘が20個ほど足りませんでした。なので、「ほぼ」完成というところです。

ちなみにこの屋根、農業のための資材置き場なのですが、左側の古い家屋の雨樋がお古になっていたためもあるのです。

雨樋を直そうにも垂木の先がもう朽ちているのでどうしようもなく、雨だれが土台や柱にひどくかかっていました。

さらにはこちらが山側でなかなか乾かない。

そのため、この家(物置として利用中)を守るためでもあったのです。

この記事はアグリカテゴリーなので、たまには畑の様子をアップしましょう。

ネギはほとんどなくなりました。

というか、今日、手前に残っていたネギは引いてしまったので、あとひと畝(うね)だけとなりました。

今季の冬は全体的に暖かくて、ソラマメがもうこんなに↓大きくなっています。

来週末はとても寒くなる予報が出ていますが、いじけないでください。