山乃井木工房:岩井雄介のいま何作ってましたっけ

京都丹波(京丹波町)の山村で木工をするあるつくり手の備忘録

畑がだんだんと賑やかになっていきます(24コールラビ、24エダマメ他)

天気予報を見るときにいつも使っていたアプリのデザインが変わってしまい、困ってしまいました。

今までは2タップで10日後までの降水量の予報が見られたのですが、新しいデザインでは降水量予報に代わって降水確率が表示されるようになりました。

例えば、3日後に雨が降る予報が出ているとして、その1㎜以上の雨の確率が50%か80%というよりも、降る量が3㎜か30㎜かの方が重要なのです。

パラパラ雨でも農作業はやりづらくなってしまうのでその日一日は作業ができないでしょう。

ただし、30㎜降られると4・5日くらい畑を耕すような作業はできなくなります。

そのように3日後から畑の様子が変わるという予想が立てられるのならば、今日・明日でするべき仕事の優先順位が違ってきます。

このように、正直、雨が降るかどうかではなくて、どれくらいの雨が降るのかが知りたいのです。

農作業ではないにしろ、同じ思いをしている人は結構たくさんいるのではないでしょうか?

武田勝頼と週末に長篠でお互いに好きな馬と鉄砲を持って来るようなランデブーの約束をしているドキドキの織田信長もそうでしょう(兵種やその活用についての説はだいぶ改まった)。

牛の角に松明を括り付けて小田原城にいる大森藤頼を驚かそうと考える迷惑Y〇uTubeまっしぐらの伊勢宗瑞も天気は気になるでしょう(この話は創作だと思う)。

いやいや、物騒な目的だけでなく、民間需要もあります。

箱根の宿辺りで「あともう少しで大井川だな」と思っている弥次さん喜多さんも渡河できるかどうかは大きな関心事(この2人は足止めを食らっても楽しく過ごしそうです)。

朝廷から雨乞いの祈祷をお願いされる南都北嶺にとっては、しっかりと雨が降りそうな日の前まで焦らしてから恭しく願いを聞き入れるのがあらたか(こんなこと書くと罰が当たりそう・・・)。

利根川の東遷を任された現場監督の伊奈忠次は、大雨が降るときには作業員に重機を川の中から高台に退避させるように指示をしておかないと上司からしこたま怒られます(中間管理職はどの時代もお辛いのでしょう)。

このように、多くの人々にとっては単に雨が降るかどうかではなくて、どれくらいの雨が降るかというのが大切なのです。

一応、このアプリのどこかには降水量の予報はあるようで、検索したら出てきました。

1タップで行けるようにGo〇gleChr〇meのお気に入りで、待ち受けにアイコンを出しましたが、これがChr〇meの汎用アイコンなのでダサい。

なんだか、がっかりな昨日今日でした。

畑の方はコールラビの移植をしました。

まだ、1回目の播種の分だけです。2回目に播種をしたものはまだ双葉。

すべて合わせると春のコールラビの植え付けはこの3倍くらいになる予定です。

エダマメとトウモロコシは2回目の播種。

霜が降ることはほとんどなさそうですが、彼らは気温が低いと発芽しませんので、トンネルの中でお過ごしです。

何も植わっていないところも肥料を撒いて準備をしなければいけません。

6月までには週毎に畝が増え、いろいろな作物が増えていきます。

ふと見ると、ソラマメにはいっぱいの花がついています。

こうしてみるとソラマメの花って藤の花に似ているのね。・・・まあ、同じマメ科でしたね。

ぶらりちょっと坂本の旅 ~その2~

坂本をちょっと旅したのはもう2ヶ月以上も前になってしまいました。

いやはや、全く遅筆で・・・。

ブログを書くときには事実と齟齬があるといけないので、ネット上ではあるけれど、一応調べながら書いているのです。

そして、漢字や熟語を確認することもしています、文章をより良くために。だって、僕の頭、パンくず並みの語彙しか出てこないんだもん。

なので、100文字打つのにも10分くらいかかってしまうこともしばしば、ラフラフ。

特に今回は予習をあまりしていなかったので、タイプするときになって「こんなところだったのかぁ~」「こんな建物があったのかぁ~」と感心しながら書き進めています。

さらには、「知ってたらもっとしっかりと観察していたよ」なんてことも…。

人間、いつまでたっても備えあれば憂いなし、災害には非常持出袋、勉強しないで受ける定期テストは無駄死に、といったところでしょうか。

坂本ケーブル坂本駅から日吉大社までは徒歩5分。ほんとすぐお隣です。

というか、日吉東照宮は駅から見ると日吉大社とは反対側にあるから、坂本駅日吉大社の広い意味での境域の中、と言うこともできるかもしれません。

ただ駅から日吉大社までの歩道が狭くて・・・。

延暦寺からの日吉大社(それとも、歴史的には日吉大社からの延暦寺?)という日本史的名所旧跡をもうちょっと整備してほしい。

・・・でも、やっぱり三連休なのに観光客が少ない。インバウンドだけじゃなく、日本人も旅行ブームではなかったのかい?

駅からの日吉大社だと橋を一つ忘れて行ってしまうので、実際の道のりとは前後しますが、二宮橋から見ていきましょう。

日吉大社には3つの石橋があり、いずれも江戸初期、寛文期に造られたとされ、国指定重要文化財です。

この二宮橋は大宮川の一番下流に架かっていますが、日吉大社のホームページ(https://hiyoshitaisha.jp)とそのブログ(https://amebo.jp/hiyoshitaisha/entry-12742402392.html)によりますと、山王祭の時にしか使用されないそうです。

橋の両側には注連縄とバリケードがされて渡れなくなっていました。なんでも渡ろうとする車があるそうで、通行止めにしたのだとか。

「このはしわたるべからず」では済まされないようです。

がっちりとした壁高欄、橋板の作る大きな反り、一方で真一文字に太い橋桁、どれも力強いです。

写真には入っていませんが、両端に擬宝珠も載っています。

この橋の反りが横桁(この場合は梁って言わないんだね)の厚みによって出されているのも面白く感じます。

橋桁がこれほど太い部材でできているので、橋板を反らさなくても構造上の問題はなさそうです(個人の意見・感想であり、専門家によるものではありません)。

それでも、このように強い反りを造り出したのは、当時の反りに対する認識を表しているかと思います。

次は走井橋↓

欄干がないために高所恐怖症の私は真ん中を歩きますが、私のような平民身分が渡るのに相応しい橋です。

この橋は次の大宮橋と並んで配されているわけですが、階段を下りて渡らなければならず、その意味でも格の違いが現れています。

走井橋でまず指摘したいのはバランスの良さ。橋板・桁・脚の各部材の大きさの兼ね合い、全体の高さと中央の飛ばした距離、一見、現代の建築物かと見間違うほどです。

欄干がないので橋板の曲面の魅力を楽しめ、その反りによって大河に架かる沈下橋のように質素や貧弱に感じることはなく、加えて1ヶ所3本の方形断面の橋脚が力強く感じます。

シンプルな外観ですが、その基に洗練された感性が内在しており、この地に祀られている神々に対する真摯な心象を推察せずにはいられません。

ただ、この橋はちょっと小さすぎるので、次に挙げる大宮橋が全くの「貴賓橋」として機能していたとは考えづらいんじゃないかなあと思います。

日吉神社の総本社でもあり、京都・東海道に近いことを勘案すると、元禄期以降の参拝者はとても多かったと思われます。

この橋の上で、みんなが「押すなよ、押すなよ」している光景はちょっと現実的じゃない気がする・・・。

木橋の時や作られた当初は別として、この走井橋は大宮橋が神事や貴人の通行などで使えないときのスペア的な位置づけだったんじゃなかろうか(ちなみに、山王祭の時にはこの走井橋も神事に使用されるそうです)。

最後は大宮橋↓

先の走井橋から写真を撮りました。

走井橋とは並んでいるわけですが、高欄、横桁、橋桁、橋脚と、同じ幅の川に架かっているのに随分と技巧が尽くされ、重層感を感じます。

ただ、各部材がそれほど太く・厚くはないので、野暮ったい感じは受けません。

特に欄干の窓はその形状や大きさ、間隔のどれを考えても石造りにしては軽妙で、橋板より上を重たい印象にはしていません。

構造的には二宮橋とは橋脚が丸柱であることが共通し、また橋の反りが橋桁で出されていることが異なります。

他の二つの橋と比べて反りが抑えられているのは牛車や馬などでも渡ることを想定したからでしょうか。

丸柱で貫を用いていることには注目してよさそうです。古来より丸柱は格を引き上げるものですが、貫の多用は大仏様に代表されるようにだいぶ歴史が下ります。

そのため、「古風を重んじる神社建築」において、丸柱に貫を通すのは慎重になるんじゃないかなあと思います(まあ、貫の利用は神社にもよく見られるんだけど。この橋の位置づけを考えると、殊更に見せているのはね)。

先の二つの橋とは異なり、楼門同様、どことなく中国らしい豪華な雰囲気が出ているのはそのためかもしれません(欄干の窓にも言えることだけどね)。

先述の通り、これら三つの橋とも秀吉時代(実際に秀吉の寄進だったかはわからんけど)には木製であったものです。

その時の意匠がどれほど江戸時代の架け替えに引き継がれたかはわかりませんが、いずれにしても相当に技術と贅とを尽くした、当時の深い篤信の跡を見ることができます。

また、この地は野面積が代表的な石工集団、穴太衆の所在地でもありました。

日吉三橋と穴太衆の関係は諸々のところで指摘されていますが、貴賤を問わず多くの人々が集うところだったことを考えると、広報戦略や展示場として目指したもの、もしくは機能したものであったかもしれません。

「うわっ、やばくね。まじ石橋、っぱね~」

みたいな大名、諸藩家老が新規導入してくれたらよいですね。

そんな風に考えると、それぞれの橋も一層見え方が変わってきます。

フル規格の大宮橋、平橋としてもカスタマイズできる二宮橋、庭園や城の堀に架けるのに相応しい走井橋。

それぞれのモデルはオプションも付けることができます。また、オーダーメイドにもお応えします。

・・・まるで葬式やさんの祭壇のカタログを見ているみたいです。

ところで、橋の文化財は他の建築に比べて少ないですね。

川は災害の起点であり流失することが多く、また生活の重要インフラである橋は交通機能の改善ための更新も行われることが要因でしょう。

川は共同体の境界だったり、また無縁の場所だったりするわけですが、そこに架かる橋はまた行動圏や商圏の結節点だったり、交通の頸木かつ繁栄の場所だったりしますね。

古来から無数の橋梁が架けられてきたことは容易に言葉には出すことができますが、その実物を見たり、具体的に想像することができないのが残念です。

大宮橋もしくは走井橋を渡るとしばらく上り坂が続き、大きな鳥居が現れます。

神仏分離令以前は神仏習合によって比叡山延暦寺の影響を強く受けており、山王権現として位置づけられていきます。

てっぺんに破風、三角を載せた山王鳥居はその表れなのだとか。

でも、日吉大社神仏分離令後の廃仏毀釈で先駆的かつ象徴的な舞台となったんだよね(https://ja.wikipedia.org/wiki/日吉大社←いつも通り参照がウィキペディアですみません。不勉強です)。

その時は、この三角どうしたのかな?

京の鬼門である比叡山を鎮守するという意味で残していたのかな??

もしそうだとすると、国家神道という理念で行動したというわけではなかったと思っていいのかな???

それとも、この三角は一時期廃されていたのかなあ。

戦前から三角があったにしろ、戦後に三角が復活したにしろ、思想史を考える上で有益でありそうです。想像が広がりますね。

・・・ネットでは見つかりませんでしたが、きちんと探せば文献ありそう…。調べていなくてすみません。

奥に進んでいくと、とても立派な摂社がたくさん右手に並んでいますが、まずは大宮、大比叡とも呼ばれる西本宮へ。

西本宮楼門です。

この楼門は本殿、拝殿と同じく比叡山焼討の後、天正十四年(1586年)の再建と伝えられます(文化庁『国指定文化財等データベース』https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1358)。

入口に厄払いの案内看板があって、自分が前厄の年だとわかりました。

時間がないのでお祓いは受けられませんが、どうぞ見逃してください。

三手先に二重垂木ともちろん格式は高いのですが、どこどなくこじんまり。

ついこの間、奈良の古刹や平安宮朱雀門を見たばかりだからでしょうか。

下層の柱配置が狭いので、屋根のみならず、高欄を持つ上層部も大きく見えます。

写真の撮り方もあったでしょうが、気持ち不安定を感じる…。

この西本宮は板塀(内側のものを「瑞垣」というらしい。⇔「玉垣」)がぐるりと本殿・拝殿と授与所を取り囲んでいます。境内の中の境内。

西本宮楼門を入ると正面が西本宮拝殿↓

立派な拝殿です。まあ、楼門側からの写真なのでこちらが背面ですが。

屋根は入母屋。三間四方で軒の出が大きく、欄干が回っています。

バランスがいいですね。西本宮の本殿と拝殿は天正期の建築ということで、木割から細部まで意匠として完成されている感があります。

妻飾が大きく、またその狐格子が広くため、少し冗長に見える気がしますが、それは現代人の感覚でしょう。

室町末期や江戸のごく初期には示威あるものに見えたのかもしれません。

建物み導かれるように中に進みたくなります、・・・が、玉串を捧げて前厄のお祓いをすればいいですけどそういうわけではないので、手前から見上げる形で中を確認します。

折上格天井、ただし上がっているのは中央の一間です。

もちろん天井の形式としては格の高いものですが、結婚式場を見慣れた現代人にとってはなんだか不思議な感じがします。

梁・桁が通っているので、3×3の真ん中このスペースを折り上げるのは構造的には合理的なのですが、ちょっと狭い感じが…。

貴人一人の参拝はこれで結構でしょう。

しかし、安土桃山時代の参拝事情は知ったことではないものの、夫婦だったり、親子だったり、連れション・・・じゃなかった、対等な友人とのご参拝だったりするときはちと困ります(前近代では並ぶことはなかったのかな?)。

後でも書きますが、そもそも日吉大社の建築はどれも「合理的」にできすぎているきらいがあります。

この拝殿だって、〇×ゲームをやりたくなるような3×3。

宇治上神社を挙げるまでもなく、拝殿は横に長かったり、手前・奥に長かったりといろいろできるはず。

なのに、極めて合理的。それも経済合理的と言ってもいいようなこの構造を選択しています。

そんなことはさて置き、西本宮本殿↓

 

日吉神社の中でここだけは正面から参拝できませんでした。

言わずと知れた日吉造(ひえづくり)。背面がぶった切られています(←言い方には気を付けましょう)。

すなわち、桁間三間、梁間二間の内陣に三面庇、縁を回しています。そして、屋根は一見すると入母屋造ですが、背面は二方向に稜線を出して軒が高くなっています(最も大事なところの写真を撮っていないっ)。

もともと平面がそれほど大きくなく、軒までは縦方向にも伸張性をそれほど感じる意匠ではないので、正面から見るとこじんまりした感を抱きます。

しかし、写真のように、地面から床、床から軒、軒から屋根の最頂部が見かけ上、等しくなっている(実際は2:3:4くらいかな)ため、非常に安定して見えます。

ここでちょっと関係のない話で恐縮ですが、うちのムラの神社も日吉神社でこちらの末社です。

小さな村の神社なので、今はもう専属の神主さんがいるわけではありません。それでも本家のこちら様と「似たような」建物となっております。

さて、西本宮本殿の話に戻りましょう。

やはり、拝所が付属する本殿は屋根が美しいですね。背面の特殊な屋根構造にも言えることですが、単純な寄棟や入母屋と比べて伏図上の形が複雑になるほどに、各所の納まりが難しくなります。

3次元の表現であるところの屋根はそのような納まりをいかに自然に見せるか、特に神社建築の場合は麗しくと言ってもいいでしょう、そう、端正にして且つ麗しく見せるかが重要です。

その意味では、この屋根はなかなか見どころがありそうです。

また、背面の意匠について。これは個人的な見方ですが、背面の軒や床が上がっているのはその先にある「神」への敬意とも受け取れます。

神が山だとしたら、目線は自然と上方になります。

屋根を四方庇にしてしまうことは単純に本殿を閉鎖的な空間にしてしまいます。

祈りの方向を考えるならば、日吉造は極めて理にかなっているのではないでしょうか。

ただ、この仮説に関しては破綻があります。そうです、建築で言うところの背面、信仰で言うところの前方の山への畏敬であるとしたら、摂社や末社はその日吉造を踏襲しなくともよいはずです。

勧請によって分霊を遷してくるならばその信仰対象は本社の御霊のはずであり、摂社・末社の背面を開くのは逆に理にかなわないことになりそうです。

「似せること」に重きを置いた様式・形式に依拠したとも再反論できないわけではないでしょうが、結局は決め手に欠きます。

・・・と、いろいろ考えると楽しいですね。建築の意匠をどう捉えるかというのもやはり芸術鑑賞であるわけで、このような自由な解釈を抱擁してくれます。

西本宮本殿を参拝、鑑賞したところで、次はお隣の宇佐宮。

西本宮エリアには奥から西本宮、宇佐宮、白山宮と三つの本殿、拝殿が同じ方角を向いて並んでいます。

そしてこちら↓、宇佐宮の拝殿です。

・・・西本宮の拝殿と見分けがつかないじゃないかって?

ほんと、そう思います。かくゆう私も写真を整理しているとき、どれがどれだかわからなくなってしまいました。

もう、西本宮・宇佐宮・白山宮・東本宮・樹下宮の本殿・拝殿がみんな判で押したようにそっくりなのです。

ほとんど、間違い探しの次元です(これは失礼…)。

特に拝殿はそのシンプルな構造もあって、ユニット工法かプレハブ工法で建てたんじゃないかなと思えるほどです(これはさらに失礼…)。

賤ヶ岳の戦いの後、畿内にようやく平和が訪れたことによる、喫緊の復興需要の影響でしょうか。

よもや、秀吉の子飼いの家臣が競い合って、寄ってたかって同時期にそれぞれ造ったんじゃないかなと邪推してしまいます。

まあ、それはそれで想像すると面白いのですがね。

宇佐宮本殿

う~ん、ほとんど同じでコメントもしようがない・・・。

ちょっと関係ない話になってしまいますが、私は宇佐神宮のことをよく知りませんでした。

「宇佐神社ってそんなに見ないし、メッセンジャー和気清麻呂が行ったところくらいしか印象がないな。マイナーだなあ」と思っていました。

・・・無学です、ほんとあほです。

この記事を書くために、いつものようにウィキ〇ディアで調べたら、宇佐神宮八幡宮の総本社だったんですね。

知らなかったでは済まされないほどに愚かです。

八幡宮の存在を考えると、ここ日吉大社に摂社が開かれているのも理解できますし、境内の「良い位置」に鎮座しているのも納得できます。

・・・はい、私の恥ずかしい話でした。

この宇佐宮の近くになぜかちっちゃい正倉がありました↓

ただし、立て看板の何もないので、これがどういった経緯で、どういった施設なのかわかりません。

何か説明をお願いします。さもないと、このように「何か貴重なものではないだろうか」と、おじさんが嬉々として写真を撮ってしまうので困りもの。

文化財表示がないということは、つい最近の建設だということでしょうが、それだったらそれで何か案内が欲しいところです。

一見したところ、古式にのっとるのならば上部は木鼻なしの寄棟屋根である方が望ましいような気もします(屋根はあえて「神社風」を取り入れたということでしょう。木鼻・・・?)が、丁寧に作ってあるようですし、説明がないのはもったいない。

わざわざこんなところに古代風物置を作るなんて、中には何を収めているのかな?

校外学習に来た小学生でなくとも、案内があれば勉強できそうなのになあ。

白山宮を経て(何度も失礼だけど、同じ意匠過ぎて写真も撮らなかった)、東本宮に向かう道中には神輿収蔵庫があります。

日吉大社の神輿に弓を引いてはいけません。時の関白は呪い殺され、その息子は苦労することになりました。

・・・あ、ここに収められている神輿は再興以来のもののようです。

同じく、道中には金大巌に向かう分かれ道があります。

時間があれば、上まで登って三宮と牛尾宮を見てみたいところでした。

どちらも16世紀末の懸造の建築であり(ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/懸造)、その架構造が近くで見られるようで、近隣の石山寺醍醐寺、もちろん清水寺と比較検討するのも面白そうです。

ただ蛇足ですが、超素人的個人的意見で、これらに対して投入堂三佛寺)は「懸造に該当しないのではないか?」と思います。

素晴らしい建築物であることは間違いないのですが、「懸」ではあるが「造」とは言えないような気がするのです。

不均衡な地形、すなわち接地面により起因する課題、もしくはそれによって発生が顕著になる諸課題(地震、風害等による破壊力の増大)を、軸組構造の格子的展開(ラーメン)の長所により建物内部で収斂させる(軋みや捻じれを許容し、柔軟性やレジリエンスを旨とする)ことで解決をするのが「懸造」と理解しています。

剛性で対応するレンガ造や大壁工法、真壁工法とは発想を異としていると思うわけです。

その観点では、投入堂は共通性を見出せないような・・・。まあ、考え方の違いかな。

大阪湾の巨大なルーレット建築も、いっそ振り切って海に張り出す形で半永久的に作ったら、自然への挑戦と融和という形でこれらの文化財と共に、後世に残る建築になったかもしれませんね(埋立地地盤沈下を考慮しなくてはいけないので無理だけど)。

西本宮と同じく、東本宮の建物配置も楼門から拝殿、本殿へと直線で連なっています。

ちょっと暗くなってしまってわかりづらくなっていますが、楼門は西と東で違いがないと言っても過言ではありません。

ただ、瑞垣の形状とそれが内包する建物が異なります。

というのも、東本宮の楼門の「内側」には近くの樹下神社を勧進した(で本当にいいのかな?)樹下宮があるのです。

そして、こちらが樹下宮拝殿。

もう、そっくりで(以下略)。説明や感想は書きません。

そして樹下宮本殿

この樹下宮の本殿、拝殿は東本宮の楼門から拝殿に至る直線を挟む形で左右に建っています。

そのため、正面に回ることを不精したので撮った写真が横からになっているわけです。

樹下宮は比良山信仰とも結びついているようですが、どういう神社でどういう信仰対象なのか正直わかりません。

しかし、参道をまたぐように配されているというのは珍しく、「こんなことが許されるんだぁ」という感想です。

これはこの2月に、一部界隈で話題となった「交わっているわけではない2本の直線はねじれの状態にある」ということで三次元世界の展開なのかもしれません。

因数分解で止まってしまった私には数学的理解ができないところですが、次元の異なる信仰という観念(神様の「上下」という意味ではないことは確認しておきます)があることは優に想像できます。

もしかして、この東本宮拝殿と奥の本殿が基壇と言ってもいいような一段高いところに据えられているのも、高さ方向の格別を意識したからでしょうか。

このため、写真のように西本宮よりもぱっと見、格式が高いように見えます。

東本宮本殿です。

西本宮と全く同じ。明治期に祭神を入れ替えても何ら問題なかったのも頷けます。

木工の集まりの時間が迫ってきたので、この東本宮を見て日吉大社を後にしました。

日吉大社にはケーブル坂本駅をはさんで東照宮がありますが、こちらは事前の勉強不足によって行く意識がありませんでした(・・・恥ずかしい)。

日吉大社東照宮は権現造のもっとも早い形とのことです。

日光へは小学校の修学旅行以来行っていないのでそちらとは比べられないのですが、この機会に是非とも訪ねておくべきでした。

また、文中で触れていますが、中近世に限らず、職人集団の活動がどのように展開したのかについては近年、注目が集まっているところかと思います。

特に、穴太衆は年初の地震金沢城の当時造られた石垣がほぼ無傷だったこともあり、多くの人の記憶に新しいところでした。

彼ら穴太衆の仕事(もしくはそうとされている仕事)は坂本の街中にも多く残っているようです。こちらも見ておくべきでした。

さらに、少し湖西地域を北に足を延ばすと、中世史研究では誰もが知る安曇川や饗庭があります。

アホい私は「安曇川」や「饗庭」の読み方をつい最近まで知らなくて・・・そんなことはさて置いて、土地に根ざした研究というのは書籍文献だけで知るだけではなく、実際に行って地形を確認することに加えて、その土地で往時の人々の生活へ思いを巡らすことは理解への欠くべからざる要素でしょう。

全く、名所・名跡を巡るには余裕を持った事前学習や見学時間が必要ということですね。

夕日の中、山野には藤の実がはじける音が響き渡る

昨日の夕方、日が沈む間際のことです。

パシッ、パシッ。と、指を鳴らすような音が近くから響いてきました。

楡の木に巻き付いた藤から音がするのです。

音がする度に、辺りに莢が舞い落ちます。

ああ、そうかあ。藤はこうやって種子散布をするんですね。

耳を澄ますと、この楡に巻き付いた藤だけではなく、近くの山裾や谷からもピシッ、ピシッ、と聞こえてきます。

まるで藤同士が種を飛ばすのを競うかのようでもあり、落ちる太陽にみんなで賛歌を送るかのようでもあります。

今日、この時という理由を無粋に考えれば、日中は暑かったために湿度は大きく下がっていました。加えて風もでていたので、より遠くに飛ばせる条件が揃っていたのでしょう。

それにしても、このような条件を見逃さない、この植物が具える戦略に目を見張らずにはいられません(注:戦略「strategy」は生態学用語)。

思えば、春を待っていた植物は一斉に活動を始めています。

蕨は岩の隙間からその手を広げ、小楢や椚は新梢から芽を吹き出し、山椒に至っては新緑の先から花芽も覗かせています。

一方で、花の終わった蕗は綿を掲げ、樫は老いた葉を足元に敷き詰めます。

それぞれがそれぞれに世界を持って、自然という豊かな一体を造っています。

(写真はタラの芽)

植物名、特に生きているときはカタカナで書くことが多いのですが、今回は漢字で表記しました。

生物の側面が強い記述ではカタカナ、文化的な側面が強い記述や材料としての存在を指す場合には漢字にしているのです。

ただし、今回はカタカナにしてしまうと、情緒がないと思ったのです。

アスターの播種

昨日、今日ととても天気が良く、お日様が一日中照らしていました。

寒さがぶり返すと霜が降りることもあるので「油断は禁物」の時期ですが、そんな心配もいらないほどに気温はウナギ上りとなり、ツナギの下は半袖1枚で十分なほどでした。

そんな、ポカポカ陽気の中、昨日はアスターの播種をしました。

木曜日にもやったのですが、まだ半分ほど残っていたのでした。

新しいプラグトレーが白飛びして穴が見えません。

実際、日光に照らされてとても眩しくしばらく直視できませんでした。眼がー、眼がー・・・。

プラグトレーにひたすらに種蒔き培土を入れて、ひたすら種蒔きです。

道具などのない私めは爪楊枝で精密作業です。

それにしても、あれだな。この前は頭使っているなんてブログでほざいてしまいましたが、これなんか典型、まさに単純作業の繰り返しで頭なんか使いません。

そのため、耳にはワイヤレスイヤホンをして、スマホから音声や動画を聴いています。

最近、このように農作業中、もしくは他の作業でも「ながら聞き」をするのに嵌っています(もちろん、危険な仕事や公道での運転時はしません)。

だって、体だけ動かす仕事ばかりなんだもん、私の仕事。

でも、トラクターで畑を耕すときはエンジン音があまりにもうるさくて、イヤホンをしても言語や会話といったものは上手く聴き取れないのです。

そりゃあ、今では一般的なものになったキャビン付きのトラクターがありゃいいのですが、そんな機械投資ができるわけもなく…。

誰か恵んでくださるなら、エアコン付きをお願いします。

・・・まあ、だからしょうがないので、畑の中でトラクターに乗っているときだけは無料で聞けることもあって音楽にしています。

そおかぁ~、今はこんな曲が流行っているのかぁ♪♪♪。

このながら聞きに目覚めたことにより、つまらない単純作業にもいくらかやる気が出るようになりました。

野菜や花卉作りってさ、すべてに時期があるから、やる気がなくてもやらなくっちゃいけないんだよねぇ(←お金もらうんだから当たり前だろ)。

・・・と、このように播種が終わったら、トンネルにてお過ごしになります。

2週間ほど前に播種をした長ナスは芽が出そろいました。

そういえば、この長ナスの播種は記事にしていませんでしたね。

長ナスの発芽は時間がかかる(気温が低いため)ので、芽が出るまでは不安なのですよ。

一方で、最も早くに播種をしたネギは発芽率がすこぶる悪い…。

写真では見えづらいですが、部分的にはなんだか半分くらいしか発芽していないようです。

病気などでここから大きく減らなければ、おそらく植え付け分は確保できるとは思いますが、とても心配な展開です。

春のシイタケが最盛期

さあ、今日も野菜を売ったり、物を作ったりしましょう。

・・・僻みと皮肉は多くは語らないとして、昨日は伝統工芸近畿展の会場当番をしてきました。

毎回のことなのですが、当番中に他の工芸分野の方からその工芸分野の説明をお聞きしています。

というのも、木工もだけど、他の分野の作品は、勉強不足のためにさわりはおろか、見るべき基本的なところさえも分かっておらず、鑑賞ができないのです。

お客様の流れが穏やかになったときを見計らって、もとい、穏やかになったときを有意義に、いろいろと質問をして説明を受けることを楽しみにしています。

昨日は染織の方と当番が一緒だったので、染織の技法のことや材料のこと、着物の場合の意匠の留意などを知ることができました。

冒頭の話ではないですが、こんな身でもたまには勉強をしているのです。況んや衆人をや。

・・・話を主題に振りましょう。シイタケは今が春の発生の最盛期です。

秋の発生が少なかったからか、例年よりも少しだけですが多く出てくれたようです。

22白は形もなかなかいいなのが育ってくれています。

4月になって露地は虫が多くなってきたので、出荷はすべて発生舎で育生したものになりました。

春は気温の日格差も大きく、また気温が高くなるのが早いので、回転がねぇ・・・、うまくいかないのよ。

一気に春らしくなりました(24エダマメ、24トウモロコシ)

この1週間、だいぶ暖かくなり、一気に春らしくなりました。

スイセンレンギョウも満開になりました。4、5日前に咲き始めたかなと思ったサクラももちろん満開です↓

ただ、つい最近まで雨が多くて、なかなか畑仕事ができませんでした。

ほんとは5日ほど前にしたかったエダマメとトウモロコシの一回目の播種を今日、ようやくやることができました。

土が水分を多分に含んでいたために、トラクターで耕したり、マルチを敷いたりができなくて、当初の計画よりも後ろ倒しに進んでいたのです。

一昨年・去年を教訓に、コメ〇の一番安い培養土を株穴に入れてから種まきをします。

・・・正直、手間です。

マルチに開けた穴にスコップを突っ込んで穴を広げ、一輪車からスコップで掬っては穴に充填させていくのです。

そして、培養土も結構な量を消費し、20m畝30㎝間隔2条植えなのですが、その畝1本で80リットルくらい使います。

それでも、この方法にしたのは欠株の解消が目的です。

特に、この4月初めの播種は低温から土の中で味噌にでもなってしまうのか(発芽時の低温湿潤が致命的に生育に悪いのでしょう)、発芽不良が甚だしく、15%近くの欠株を生んでしまっていたのです。

それを5%くらいに抑えることができれば、それだけでコストがpayp〇yできるだけでなく、株穴から草も生えないので手間もトータルで見れば少なくなりそうです。

それにしても、今日は暑いなあ。日差しも強いし、五月の連休中のような陽気。

体を動かしつつ背中に受ける太陽がちょっと苦痛です。

プチ客土による土壌改良が終わったら、いよいよ播種↓

もともとの圃場の土よりも培養土の方がサラサラで、種まきもやりやすいです。

ちなみに、エダマメは1株3粒蒔きで2本立ちにします。

トウモロコシも1株3粒蒔きですが、残念ながら、生き残れるのはもちろん1本だけです。

播種の後は水遣り、それが終わったらトンネル作りです。

今年はトンネルビニールを新調しました。さすが新品、クリアで美しい。

さっき↑のがエダマメで、こちら↓がトウモロコシです。見てもわかりませんね。

一週間ほど前にフラワーネットを張ったソラマメ↓

連日の暖かさで自身の才能に目覚めたのでしょう。すごい勢いで生長しています。

一日で5㎝以上は伸びているんじゃないかな。

冬場はほとんど大きくならなかったのに、この生長力はどこに隠されていたのでしょう。

あと一週間、支柱を立てるのが遅かったら倒れていたかもしれません。

ゴールデンウィークのラストくらいで収穫できないものかなあ。

おっさんずtax ~リターンズ~

それは確定申告の記憶も薄れる春の彼岸。

農作業に忙しくなるおっさんのスマホに一本の電話が・・・ありましたが、角の丸い先端機器を使い慣れていないおっさんはうまくスワイプができず、スマホを落とします。

それでも、発信者はめげずに着信音を鳴らし続け、おっさん、その根気強さに助けられてようやく電話に出ました。すると、

国税庁の・・・」

と相手は名乗りを上げるではありませんか。

すわっ、振り込め詐欺かっ!? 

このような貧乏人に電話を掛けてくるとは身の程知らずな。ない袖は振れないという格言を思い知らせてやるわっ。

・・・いやいや、まあ待て。ここは相手の出方を見よう。もとい、出方を聞こう。

「はあ?」

猜疑心だけ強く、知的バックグラウンドのないおっさんは敢えて気のない返事をします。

「あの~、消費税の還付を申告されているのですが、それに必要な消費税還付申告に関する明細書が提出されておりません。この書類がないと・・・」

電話口の落ち着いた声は続いていきます。

こやつ、なぜ私が今回の確定申告で消費税の還付を申し込んだことを知っておる?

・・・もしかして、ほんもの? 本物の税関係の職員さん?

「本来ですと、消費意税の還付を受ける場合、消費税の還付申告に関する明細書は消費税確定申告書と共に提出されなければいけないものなのです」

「はあ?」

おっさんの返事は擬態から本物の生返事へと進化しました。

「ですから・・・」

多くの、そして時に厄介な納税者に対応しているためでしょう。電話先の職員は極めて冷静に書類提出の履行を求めてきます。

しかし、こちらはその書類自体が何なのかさっぱりわかりません。

「はあ?、・・・はあ?」

まるで底の柔らかい鹿威し(ししおどし)のように、思考は止まったままで返事を単調に繰り返します。

相手もこのような返事を聞き飽きたことでしょう。それともそれもよくあることなのでしょうか、

「書類提出の必要をご理解いただけますか?」

と、こちら側に質問をしてきました。

相手は捜査権限もある国家機関。ちっぽけなおっさんにそのような爪牙を剥かないでしょうが、何より無知な私をお助けください。

この場合、変な見栄は混乱の元。正直に打ち明けます。

「会計ソフトの通りに入力していったら、消費税は還付があるってことだったのですが、そのままではいけなかったのですか? う~ん、ちょっと意味が分からないです」

「消費税の還付申告に関する明細書の提出が必要なのです」

「う~ん、会計ソフトはその書類までは用意していなかったのですね。では、どうすればいいですか?」

「そうですか・・・」

スマホから聞こえる職員さんのトーンは明らかに困った声色になっています。

もしかして、会計ソフトの言われるままに進めて、税制を何も理解していない納税者とでも思ったのでしょうか。

もしそうなら、それはあながち間違いではありません。そして、そのような対応でも結構です。

今、あなたの電話の向こうにいるのは、例えて言うなら某有名RPGで初期装備のままマド〇ンドやバーサー〇ーあたりに出会ってしまった村人です。

唱えられる呪文は、学生の頃に英検〇級を受けるために覚えた「pardon me」だけ。

お願いです。あなぬけ〇ヒモでも投げてください。

「消費税の還付申告に関する明細書の用紙はご用意できますか? できないのであれば、こちらからお送りしますので、到着次第、記入していただき、返送をお願いします」

職員さんは非常にアナログな提案をしてきました。

ああそうか。どんな方法であれ、その書類を書いて送ればいいのね。

では、郵送をさせるのはお手間を取らせ過ぎなので、

「わかりました。その書類のフォーマットはネット上で取れますか」

目的は書類を書いて送ること。極力、両者の手間がないように努めるのが合理的で、かつ国民の役目。

おっさんの理解が追い付いたので、ここからは言語によるコミュニケーションが成立しました。

国税庁のサイトに上げてありますので、取得できます」

「書類の名前をもう一度お願いします」

「消費税の還付申告に・・・」

「ちょっと待ってください。今、メモをします」

頭の中では「なんで、こんなに長い名前なんだ」と愚痴を垂れながらも、ペンを走らせます。

長いタイトルは最近のライトノベルと『プロ倫』だけで十分だ。

「提出はe-t〇xで可能でしょうか?」

「ええ、できます」

「それはログインしたら送信できるものですか」

「はい、そのように送ってください」

「では、近日中に提出するようにします」

「よろしくお願いします」

ははは、これで問題はすべて解決だ。あとはネットに上がっている消費税の還付なんとかという書類をダウンロードして記入、e-t〇xから提出すればいいだけだ。

早速、走り書きをした汚い字を自身で解読しながらスマホで検索。

え~と、消費ぜいのけんぷの・・・何だ。

と、こんな長いタイトル、フリック入力がうまくできずに間違えて間違えてしょうがない。

そもそも、書類の作成はパソコンでやるので、夜にゆっくりと検索から始めましょう。

 

・・・突然、ここで解説。

読者の皆さんは

「えーっ、『消費税の還付』って、預かった消費税をきちんと納めてないだけじゃなくて、さらにもらおうと思っているの? ずるぅ~い」

と、疑念を持たれるかもしれません。

声を大にして言いたい。

「私は無罪です」

・・・というか、基本的なことも含めてご説明申し上げます。

まず、売上1000万円以下の事業者は免税事業者として消費税の納税義務がありません(別に納めてもいいのだけど。また、給与支払額によっても免除対象が異なるようです)。

これは制度上、認められているので正当な行動です。

また、免税事業者も仕入、つまり、販売目的の商品や原材料、消耗品の購入、機械設備の導入、水道光熱費などで消費税を払っています。

消費税は最終消費行動、つまりモノやサービスの末端の売買契約に掛かる税なので、仕入れ時に支払った消費税額に関してはその分、納税額から控除されます。

消費者としての購入はそれまでの全ての消費税を事業者に支払うことになるので、そのような感覚はないかもしれませんが、まあ、各事業者は自分のところの付加価値分の消費税を納めるってこと。

消費者にとって、モノの価値は付加価値の総合計ってやつね。

ということで、この仕入課税を負担している(他の業者に消費税分を払っている)ので、「免税事業者が消費税を納めていない」というのは正しくありません。

では、なんでこのおっさんが還付を受けるのか?

「え~、もしかして金でも密輸入したの?」

安心してくださいっ!

パスポートを取得したことがなく、この15年超、本州から出たことのないおっさんはそのようなことはできません。

もちろん、外国語も全くできません。

「じゃあ、国内消費者に対して、インバウンドへの販売と偽って申告したの?」

安心してくださいっ!

木工品が全く売れていなく、外国人に販売する縁もゆかりもないのに、そのようなことはできません。

お客様を紹介してほしいくらいです。

このように、このおっさんは悪いことをできる能力もないのです。

もちろん、例え才能があったとしても天地天命に誓って悪いことはしません(←これは誤用、「天命」→「神明」)。

・・・触法中年になったわけではなく、インボイス制度が関係しています。

去年の10月に始まったこの制度。私も10月に登録事業者となりました。

もちろん、売上が1000万円を超えていたわけではなく、木工品を販売する都合上、登録したわけです。

・・・1000万円、はるか遠い目標です。その〇分の1の売上しかないのが現状です。

♪壊れるほ~ど働いてもぉ~、〇分の1~も儲からないぃ~

農作物は最終消費者へ販売(道の駅は委託販売)しているので、インボイス制度に加入していなくとも変わることはありません。

事実、道の駅に出荷している9割くらいの生産者が免税事業者のままです(正確には、登録事業者であると媒介者交付特例でお客様に道の駅から適格請求書を発行してもらえる・・・が、小売り農作物の場合はあんまり商品訴求力・差別化を期待できない)。

まあ、でもそんなんでいくらか安くしてスーパーの青果売り場に対抗してもね…。

下駄履かせてもらうくらいなら、税の三大原則「公平・中立・簡素」を採って課税事業者になりたいと思います。

ということで、10月から登録事業者になったので、令和5年の消費税は10月から12月の3か月間分の納税が義務となりました。

そうしたところ、私自身も気が付いていなかったのですが、この四半期は売上が3割程度/年、消耗品や水道光熱費などの経費が7割/年となっているのです。

おっと、これではおっさんの労務費を除いた原価率がわかってしまう・・・。

なお、この時期に支出が多い理由は、コ〇リの農業用品予約を利用した年内清算期限の次年度用肥料や資材の支払いがある、冬場に行う畑の改良や設備投資(今期は金網工事)の資材購入をする、と大型の買い物が多いからなのです。

そのような支出超過となっているため、「売上に対する消費税の課税(制度性格上、「預り金」とするのは誤用)<仕入課税」となってしまいました。

そう、私の使っている会計ソフト「3月(仮)」の計算の結果は消費税に関しては「還付」となったのです。

・・・私自身、悪いわけじゃないけど後ろめたい気持ちがあるのは事実です。

ちなみに、金額はかつ〇やさぼて〇でとんかつ定食に生中付けたらなくなるようなもので、港区女子のランチには行けなそうです(割り勘前提の貧乏人とは誰も行かないだろうが)。

そのため、いっそない方がいいとも思うのですが、まさか帳簿を改竄するわけにもいかず…。

 

さて、話は戻って、その日の夜。

いつものようにノートパソコンを開き、yah〇oニュースを流し読み・・・したい誘惑にかられながらも、「消費税の還付申告に関する明細書」とg〇ogle様に入力します。

・・・ほんとだ。一番上に挙がっていましたいました、国税庁の消費税の還付申告に関する明細書。

とりあえず、どんなものか中身を確認したいので、そのPDFファイルを開きます。

ふむふむ。

還付の理由を付さねばならないのはもちろんのこと、大型の機械購入や設備投資の場合、輸出の多い商いの場合や課税資産の譲渡が多い場合、そして多額の支出超過による場合、と理由別に帳簿上の数値や主な支払い先(100万円以上)も記入しなければならないようです。

・・・結構めんどくさいなぁ、特に金額の入力は(←還付をしてもらえるのですから、文句を言ってはいけません)。

会計ソフト三月はこの書類の制作を本当にやってくれていないのかな?

おっさんが三月にアクセス・ログインして確認すると、確定申告の書類制作流れの中の終盤に書いてありました。

「還付を受ける場合、消費税の還付申告に関する明細書は対応しておりませんので、ご自身でご用意してください」

・・・はい、私が悪うございました。

でも、こんなに小さな文字で、しかも明細書の制作ヒントもなしに書かなくたっていいじゃないか。

しかも、会計ソフト経由で確定申告書を出した場合はどうやって消費税の還付申告に関する明細書を「一緒」に提出したらいいの?

ちょっと対応に納得がいかなかったおっさんは、ライバルの会計ソフト、ここでは「つばめ(仮)」としましょう、そのつばめ(仮)の姿勢を確認したくなり、go〇gle様で検索してみます。

すると、つばめの方でも「対応しておりません」と同じ反応を示す注意書きがあります。

Why Japanese people? なんで???

この10月に納税事業者となった全国の農家さんだけではなく、収入の季節変動が大きな産業や売上の月格差が大きい事業者はどうしたらいいの?

そもそも、インボイス制度加入が10月からでなくとも、開業間もない事業者は最初の数年間、経費だけでも赤字となることもあると思うんだけど、そういう事業者のことを考えていないの?

会計ソフトとしてはそんな新規事業者の獲得が大事と思うんだけど・・・。

1万人とは言わないけど、2000人くらいがこの件で迷って、おっさんのように要を得ない人物のために国税庁の職員(もしくは委託先かな)を困らせているんではなかろうか。

まあ、私には解決できないことだから、仕方がないけれどもここは無視しよう…。

e-t〇xに消費税の還付申告に関する明細書の入力ページはないのかな。・・・せっかくログインしたけどないみたいね。

ということで、国税庁のHPからそのフォーマットをダウンロードして書き込みましょう。

Exc〇lデータはどこだろうなぁ・・・。

マウスカーソルでいろいろなところをクリックしたり、go〇gle様でand検索してみたり、といろいろと探し回りました。

・・・が、どこを訪ねてもExc〇lデータはありません。

おいっ、国の威信にかけた渾身のExc〇l方眼はどこだよっ。

もしかして、用意されていないのですか? ということは、このPDFをダウンロードしてプリントアウト、手で記入して郵送もしくはスキャンしてPDFデータにして送信するってことですか?

それとも、納税者のパソコンにはこの2月にやたらとCMをやっていたAd〇beのPDFエディターが標準装備だとでも。

・・・申し訳ございません。PDFエディターはインストールしていませんし、今からインストールする気もありません。そのようなサブスクリプションの利用料を払えません。

やっぱり手で書くしかないのか? AIが仕事を奪うかどうかというこの時代に。

手で書くとなると、このPDFデータをUSBにコピーして、コンビニに行ってプリントアウトして・・・以下略。

そして、そんな手書きの書類を見て職員さんは思うんだろうな、「こうやって手で書いて提出するやつがいるから、行政のDX時代はいつまで経っても来ないんだよっ」と。

確かに、このおっさんはデジタルトランスフォーメーションには縁遠いが、そんな風に思われるのは甚だ不本意だ。

・・・う~ん、一晩寝て考えよう。何か、いいアイディアが思い浮かぶかもしれない。

 

朝起きると、ひらめいた。

そうだ、京都へ行こ・・・じゃなかった、そうだCADで編集しよう、そうしよう。

いささか「そんなこと、すぐに気が付けよ」という突込みが方々から寄せられる気もするが、我ながらナイスアイディア。

最近は木工をしていなかったのでだいぶご無沙汰していたCADを立ち上げて、PDFをファイルのままコピー&ペースト。すると、・・・いけました。

今までPDFをコピペしたことがなかったのでわからなかったのですが、表の交点などもグリップできるのですね。とっても画期的。

これで、提出までデジタルで処理できそうです。

よかった、おっさんは時代に追いついた。

理由はこの四半期における事情を書けばいいとして、あとは金額を埋めることに注力しましょう。

課税資産譲渡や輸出取引はないので、「課税売上等に係る事項」は書く必要がありません。

問題は「課税仕入れに係る事項」、これは帳簿の金額と整合するように記入しなければなりません。

まあ、全く以ってうちの売上・支出なんて大したことはなく、ぶっちゃけ、表の一番上の「事業所得」のところだけを埋めればいいのですが、先に提出した確定申告書と齟齬があっては「どちらかが嘘です」と言うようなものです。

そのため、パソコンに保管してある申告書の数字を見て埋める・・・が、金額が合いません。

というか、自分で作ったはずの申告書は会計ソフト様がきちんと計算した後の数値なので、明細書に書くべき数字が見当たらないのです。

それもそのはず、この明細書に書かなければいけない数値は10月から12月までの四半期で、通期の申告書の数値とは合うわけがないのです(消費税申告書の一部の数だけは四半期の計算になっている)。

そして、そもそもおっさんには申告書のそれぞれの数字の根拠がわかっていません。

Oh・・・、現代人は車の構造・原理をわかってなくとも運転できる。でも、それだとトラブルがあった場合になんにもできない。

それとおんなじ。開けたことのないボンネットを開けてみるようなものです。

仕方がないので、損益計算書から目的の数値以前の申告書の数値を確認していきますが、なかなか電卓片手の手計算が合いません。

しかも、三月(仮)が計算してくださった消費税確定申告書はその様式のために国税で計算してあるのです。

消費税は国税地方税を合わせて10%であり、それぞれ、標準税額は国税が7.8%、地方税が2.2%、軽減税率額は国税6.24%、地方税1.76%です。

消費税確定申告書は国への提出なので、国税分を記載しているのです。

・・・というか、消費税の内訳なんて初めて知ったよ。いやいや、これは国民の常識でしたか。これはすみません。

でも、なんで書式を10%にしてくれないのでしょう。わざと複雑にしているかのようです。

おっさんの頭の中の納税意識は中学生の『公民』のまんまなので、税というのは「公平・中立・簡素」で止まっています。

ややこしいものを理解できないのもいけないのでしょうが、わかりにくくすることに意味があるのでしょうか。

そもそも軽減税率だって反対です。こっちは「公平」にも即していないじゃないかっ。

さらに言わせてもらえば、ふるさと納税も同じ理由で反対です。

一方で、消費税は納税事業者の複雑さを除けば賛成ですし、増税も反対しません。

つまり、ややこしいことや難しいことが嫌いなわけです。

そういえば、複雑な制度をわかりやすいものに改めて支持を得たのは漢書の中の高祖の話だったけ?

まあ、話しを戻すと、出来上がった料理を食材ごとに分けて、さらに調理する感じで損益計算書という元の料理のレシピを頼りに数字を精査していきます。

・・・

A4の紙が数字だらけになるほど電卓を叩いて試行錯誤しましたが、合いません、合いません。こんなことできません。

1時間ほどして、非適格事業者への支払いは移行措置で80%で繰り入れされていることがわかりました。

これでおっさんはひとつ賢くなり納税理解を具した市民に近づきました。

さらに1時間ほどして、損益計算書は家事案分が考慮前だということ(四半期での計算だから期末の数値を利用できなかった)がわかり、その分を差し引いたらようやく両者の金額が合いました。

合いました、合いました。こんなことできました。♪ふふん、ふふ、ふっふ

これをCAD上で消費税の還付申告に関する明細書に書き込んで、PDFで印刷(←なんで、いつまで経っても「印刷」なんだろうね。「出力」や「アウトプット」が適当だと思うんだけど)します・・・が、コピペしてきたもともとの明細書が事業者番号を記入する以前の古いフォーマットだとわかります。

国税庁様、なぜ、最新のものが検索サイトの一番上に表示されるようになっていないのですか?

古い電子情報も公文書保存上、有意義だからですか?

確かに、電子情報の時代になって、常に上書き・更新されていくデータは古い記録が残らず、研究や事実探求の上で問題とされているのはわかります。

でも、それはナショナルアーカイブスで行い、これくらいのことは国民のユーティリティーを優先させてください。

公式HPから順次削除していたら、古いフォーマットは検索サイトには上がってこないはずです。

救いを求めるいたいけな村人にミミッ〇を仕掛ける合理的理由が見出せません。

・・・さて、今度は最新のフォーマットをダウンロードし、再度CADへコピペ、A4サイズに合わせます。

そして、数値を旧明細書から複数オブジェクト「移動」で持ってきますが、当然の如くにちょっとずれる。

それをまた一つ一つ修正して、再び印刷、PDF化。

やっと消費税の還付申告に関する明細書(と言ってもA4が2枚で、それも3分の1くらいしか埋めていないんだけど)ができましたが、例によってe-t〇xでの提出方法がわからない。

電話口では、職員さんは簡単にできそうに言ってたんだけどなあ。

以前提出した確定申告書メッセージにくっつける感じの送信方法でいいのかな。

e-t〇xではPDF化して送れる書類は限られているらしく、消費税の還付申告に関する明細書はその中に列記されていないみたいですが。

まあ、とはいっても他に送信方法はなさそうなので、いつものように求められるソフトのバージョンアップこなして、「えいっ」と電子送信。

送り方が間違えていたり、内容が不十分だったらまた電話があるでしょう。送信記録も残っているから、国のルールを無視したことにはならないですよね。

 

・・・あれから10日。連絡も何もないけど、大丈夫だったのだろうか。