今は収穫するものがありませんが、作物のお世話をどんどんとやっていかないといけません。
しかし、ちょっと脱線。他で書くこともないので世間話がてらここで穴に向かって「王様の耳はロバの耳」的な記述。
一昨日の夜、テレビを見ながら食事をしていると、たまたまつけていた某チャンネルで藤原氏に関する番組が流れました。
・・・これが、もう…。
いや、詳しく書いたらダメだろうけど、でも、ちょっといかがなものかという感じで。
藤原氏を鎌足からではなくて、不比等から叙述するのは壬申の乱時に中臣氏一族が没落したこともあって当然とは思うけど、だからこそ不比等の業績はもっと注目されてもよかったんでないの?
「どのようにして繁栄したか?」で興福寺のことに触れてたけど、それは繁栄の結果であって要因ではないわけで、論理的にも不可解だよ。
それに、桓武天皇の遷都は平城京の寺社勢力の強さ解決が一因だと言われているし、平安京遷都以後の隆盛とは不適合じゃない?
もちろん、誤解がないように書いておくと、藤原氏の氏寺としての興福寺の「力」を否定しているわけではありません。
興福寺は藤原氏内だけでなく朝廷内部や王権への権威装置としても有効に機能し、平安後期に至っては神木を振りかざし、暴走する権力装置としても有力でした。
ただし、このことを不比等時代に普遍化させて記述するのは違うと思うし、まして「魔法の杖」的な見方をするのはもっと違うかなと。
そもそも、今ではいろいろ検討されているみたいだけど、どうして大宝律令は触れないの?
私としては律令並びに律令国家への貢献というレガシーがあったから(実際にすべて不比等が担ったわけではないとは思うけど)、藤原氏の地位が確立したと思っているんだけど。
より具体的に言うと、律令を作ったことはもちろんのこと、それら法や行政機構を運営・ガバナンスしていくことを「職」(←この語意はもっと後世の成立だが)とできたことが大きいと考えています(ここが不比等の面白いところだと思うのだけどね)。
番組では順調な繁栄過程が描かれていましたが、不比等以後の藤原氏だって没落の危機はいくらもあったわけで、藤原四子の死去は一族にとって大きな打撃だったし、天武系から天智系への移行だって藤原氏の血の濃い称徳天皇からの乗り換えはとても危ない橋だっただろうし。
藤原氏の勢力拡大で仲麻呂がクローズアップされてたけど、おいおい、仲麻呂はその後失脚してるじゃないか。しかも仲麻呂は一族からは距離を置いていたんじゃないかね。
都合のいいところだけ取って、流れに沿わない事実を無視、叙述しないのは論理的に不誠実というのではないのん?
それとも、無理やりの顕彰はあの歴史書の藤原氏の顕彰のアンソロジーやオマージュってこと?
後半はいきなり時代がぶっ飛んで頼長って・・・。
それはもう繁栄じゃなくて、「武者ノ世」ってことでアイロニー?
氏の長者という概念も(外戚から遠ざかった)頼道後や院政開始後には随分と違うものになったはずだけども、安易に一括りにしていいのですか?
出演されていた先生や団体はもともと素晴らしい方々でしたけど、制作サイドが大〇ドラマの「藤原氏すげー」的な雰囲気づくりに熱を入れ過ぎて、教科書的な基本的認識も見れていなかったと感じざるをえない・・・。
めんどくさいおじさんみたいに、いや、めんどくさいおじさんだけど、重箱の隅をつつくようなことをして、「もっと詳しい記述しろ」って言うんじゃなくて、単純なことでもいいので論理的に整合するような展開にしてほしい。
いわゆる「歴史」だけでなくていろいろなことにも言えることですが、論理の恣意的な拡張や飛躍、捏造、隠蔽、矛盾って見たり、聞いたりするときにとても気持ち悪いですよねえ。
いや、だいぶ長くなりました。以上、めんどくさい人でした。
昨日はアスターのポット上げ。風が強くてポットが飛んでいきそう・・・。
もちろん、ポットは飛ばしません。ストップ環境破壊。
アスターのポット上げは数が多いので、ただひたすらにトロ船で土を練って(培土は水を含ませなければいけない)は詰めていきます。
そして、苗移し↓
セルトレーで育てた苗はチョコレートクラッカーのような土と一緒に新居へ。
ほんとはまだ移植には小さいのですが、来週あたりからはネギの定植が始まるので、時間があるときに先に済ませておくのです。
3分の2くらい終わってポットカゴ45枚くらい。去年よりもやや少なくなります。
まあ、問題は開花までにどれほど株が残るかですがね、・・・去年は7割が枯れた。フザリウム菌、怖いです。
それと、一昨日は長ナスの支柱立てもしました。
こちらも時間があるうちにやっておかなければなりません。
長ナスの苗もあと10日ほどで定植になりそうです。
泥棒が来てから縄をなったのでは遅いのですよ。育ち過ぎた苗はポットの中で根がぐるぐるになってしまい、移植後の生長が悪くなるのです。